■みどう・すじ【御堂筋】

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その道路は、秋になると金色の森になる。  大阪のキタとミナミを結ぶメインストリート「御堂筋」である。全長約4キロ、幅員約40メートルという道路で、4列縦隊の巨大なイチョウ並木が、壮観な都市景観を生み出している。江戸時代には淀屋橋筋と呼ばれ、幅員6メートルほどの街路だったが、大正末期から昭和の初めにかけて、地下鉄建設と共に拡張工事が行われ、現在の姿となったようである。工事中には、当時としてはあまりにも幅が広すぎることから、「街の真ん中に飛行場でも造る気か?」と言われたとか。確かに、信号機が点滅してから横断歩道を渡り始めると、小走りでないと渡り切れないほど幅が広い。  子供の頃、母に連れられて御堂筋沿いのデパートでのお買い物によくつき合わされた。その時には有名建築家が設計した建物だとはもちろん知るはずもなかったが、イチョウ並木とエレガントな建物群がつくる街路の様子に、子供心に“憧れ”を感じたものだった。その後大人になって、パリのシャンゼリゼ通りを訪れた際、当時感じた“憧れ”の微かな記憶が蘇えってきた。当初は、「都心の大きな並木道」という単純な共通性がそうさせるのかなと思ったが、シャンゼリゼ通りのカフェで佇みながら街の様子を眺めていると、もっと深い共通性があることに気づいた。森のように見える並木に包まれて、古くからある建物や新しい店舗などが入り交ざりつつ、統一感のある歴史の重なりを見せる街並み。それを市民が愛し、街を使いこなしている風景が共通しているのだ。その風景こそが、訪れる者に、時を乗り越えて「都市の憧れ」を喚起させる理由なのだ。  ここ数年、御堂筋沿いでは、建物の建て替わりやビルのリノベーションが多く見られる。とりわけ心斎橋周辺では、シャンゼリゼ通りさながら、高級ブランド店やメーカーのショールームなどが立ち並ぶようになり、オフィスビルが多かった街並みに華やかな彩りを与えている。イチョウ並木に面したオープンカフェもあったりして、歩いていて楽しい。春先にはイチョウ並木の若葉、真夏には濃い緑陰、冬にはイルミネーション、そして秋には金色の森。一年という暮らしのリズムと、御堂筋という森の風景の移ろいが、この街では完全にシンクロナイズしている。完成してから約70年を経てイチョウの森が十分に成長したことによって、街並みがその表情をいくら変えても、子供のころ見たあの御堂筋の印象は変わることはない。経済活動によって変化する都市の中で、唯一ずっと変わらずにそこにあるものである。四季の変化を繰り返しながら、いつまでも街の真ん中に居座り続けているその森の下では、様々な人々が行き交い、森の情景とともに、その時の記憶を積み重ねながら生きている。時間が経って、その変わらぬ森の情景を眼にした時、かつての記憶がふと思い出として蘇り、自分の人生の歩みに気づくのである。その瞬間、「金色の森」は、それぞれの人にとっての「かけがえのないもの」となり、街にとっての「憧れ」となるのだ。(文と絵:澤木光次郎 OSOTO v.04 掲載)

■もえれぬま・こうえん【モエレ沼公園】

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そこは、初めて体験する未知の空間だった。 札幌市の郊外にあるその場所は、彫刻家のイサム・ノグチによってデザインされた「モエレ沼公園」である。もともとゴミ処分場であった敷地を、市がノグチの協力を得て、公園として再生させたものである。しかしながら、眼にしたその公園の風景は、僕らが一般的に「公園」と呼んでいる場所の印象とは程遠いものであった。「大地全体をひとつの彫刻とする」というノグチ自身の言葉通り、土、木、石、ガラス、ステンレスなど様々な材料をつかった大地の彫刻が、連続的に点在している場所となっている。一見、それぞれの彫刻は無造作に置かれているように見えるのだが、その中を歩き回っていると、なんとなくその置かれ方に必然性があるように不思議と思えてくる。同時に、山や森やガラスのピラミッドなどの彫刻群が雄大なスケールをもっていて、まるで自分が子供になったような錯覚を覚える。その巨大なカタチによるものだろうか、山へ登る白い坂道では、天国へ行くような気分になるし、森の中の遊び場では、ジャングルを探検するような気分になるし、ガラスのピラミッドのなかに入ると、空の中にいるような気分になるのだ。 モエレ沼公園には、札幌旅行中の平日と休日に2度訪れた。閑散とした平日には、大地の彫刻と自分自身が真っ向から対面することとなり、大きな自然にとって、僕がいかにちっぽけな存在かということを思い知らされた。家族連れで賑わっている休日には、大地の彫刻の上で、人々が美しく映える風景を眼にすることで、大きな社会と僕がつながっているような気がした。このような「厳しさ」と「優しさ」の2面性を同時に合わせもつような感覚を、モエレ沼公園という場所はもっていると思った。ノグチのもうひとつの作品である「ブラックスライドマントラ」という滑り台の彫刻が札幌大通り公園にある。見かけは真っ黒で、かなりイカツイ感じがするが、実際に滑ってみると、とても心地良く、作り手の優しさが、お尻の感触から感じられる。実際、ノグチ自身も、「この彫刻は、子供たちのお尻で石が磨り減って、はじめて作品が完成されるのだ」と言っていたそうである。この小さな石の彫刻にも「厳しさ」と「優しさ」が共存しているのだ。 ノグチがこの彫刻やモエレ沼公園のデザインを通じて伝えたかったことを僕なりに考えてみた。自然は、人類が地球上に存在するずっと前から、そこにあり続けているものである。そういう意味では、本来、人に対して厳しいものでもなく、さりとて優しいものでもない。そのような無垢の自然と人間の行為が織り成す芸術風景によって、はじめて人々は、自然のなかに「厳しさ」と「優しさ」を感じ取り、その風景の美しさに感動するということを伝えたかったのだと思う。 モエレ沼公園は、イサム・ノグチという人間によって、すべてデザインされた新しい場所である。様々な本や雑誌で、彼の作品や思想が紹介されているが、この公園に実際、身を置いてみると、大自然の中で人間が集まって生きていくときに必要となるものをずっと考え続けていた人なのだと思った。「芸術」というややともすると、日常生活にとっては贅沢品と思われがちなものが、厳しさと優しさを持つノグチの手にかかると、暮らしの豊かさとして必要不可欠なものとなってしまう。それは、いとおしくなるような「デザインされた風景」のひとつとして、人々に記憶されていくのだ。(文と絵:澤木光次郎 OSOTO v.01 掲載)

■みず・たまり【水溜り】01

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舗装の不陸によって起こる自然現象。雨あがりの情緒を演出する装置の一つ。


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